坂部の冬祭りは1431年熊谷家三代当主である熊谷直吉が熊谷家が先に定着した土地である日代地区より坂部地区本村に館を移した夜に見た夢によって始まったと伝わっている。
熊谷家伝記によれば、熊谷直吉は諏訪光盛と木曽義仲を名乗る老翁が能を踊る夢を見た。そこで、老心船田孫右衛門に夢占いをさせたところ「今よりして神楽を始め候わば、御子孫倍繁盛して、当郷永く成就致すべき事にて、是より当所に神楽ということを初めて執行す」と記されており、これが祭りが始まりとされている。
坂部の冬祭りは1月4日夕方6時頃、下の森火の王社から出発するお練りから始まるが、坂部地区においては3日の祭花作りからが冬祭りの始めといえる。
1月3日早朝、大森山諏訪社において冬祭りの準備(祭花作り)が行われる。祭花作りは社殿の掃除、注連縄を編む、祭具を作る、大庭の庭火を作る等の祭りの準備をすることで、住民総出で行われるものである。一連の準備が整うと祭りの係り(役)を決め、元旦祭を執り行う。
4日午前中には大森山諏訪社において、花の舞を務める4人の子供の練習が行われ、また坂部集会所では浦安の舞の練習が行われる。午後2時頃「こりとり」(禊)の為、天龍川と村を流れる虫川との合流点に行き、一年の汚れを清める「こりとり」を行う。こりとりの際に竹の筒に浜水を汲み、帰宅後各家の四隅に撒いて家を清め、残りは湯立の際に釜に入れるため諏訪社へ持ってゆく。
「こりとり」をした後は家人と同じお茶は飲まないこととなっており、飲んだお茶の茶殻はすぐに捨ててしまう。
4日午後6時頃、坂部集会所へ集まりお練りの準備をし、下の森火の王社へ向かう。いよいよ坂部の冬祭りの始まりである。 火の王社からお練りは出発となる。大森山諏訪社までの道は渡り拍子でお練り行列が進んで行く。お練りの一団が諏訪社へ到着すると大庭の庭火が付けられる。大庭にて、「伊勢音頭」、「願人踊り」が交互に三回繰り返される。その頃拝殿においては「祓式」が行われ、「浦安の舞」へと続いて行く。その後、「やんや」(注連引き) 、「御供渡し」と続き、「大庭酒」となる。「大庭酒」が終わると氏子総代により「順の舞」が舞われ、「申し上げ」が行われる。「申し上げ」が終ると「釜洗い」、「湯祓い」と続き「花の舞」となる。花の舞は子供達により持ち物を変えた舞が八立繰り返される。花の舞最後の「花返し」では神子、せいと衆が一体となって「かやせかやせ清めてかやせ〜」と子供達をはやし、二時間に及ぶ「花の舞」が終わる。この頃日付が変わる。花の舞が終ると湯立と神子による「本舞」が繰り返される。(詳細は式次第を参照) 津島大神の御湯の途中では「風邪の神送り」があり、神子二人が松明と幣束を持ち「風邪の神送り」を行う。 津島大神の舞が終ると、後に登場する面形を迎えに下の森に出発する。鬼迎えを送り出すと「切り替え」(さきに行った申し上げのうたぐらの一部を差し替えたうたぐら)を行う。ちょうどこの頃、幕を張った拝殿では面形を舞う役を神に尋ねる「おみくじ」が行われる。その後、湯立と本舞が二立行われる。切り替え後の最初の本舞である「東方浅間大神の舞」においては、太鼓が使えなくなる為に足を踏み鳴らし、口で音頭を取る「がったく舞」となる。その後面形の舞となる。この頃早朝五時頃となり、「たいきり面」の登場となる。たいきり面が終ると「獅子様」、「鬼神面」、「天公鬼面」、「青公鬼面」と続く。鬼様が終ると「水の王様」、「火の王様」、「翁様」と続き、「日月女郎面」(てらぼこ)となる。てらぼこにて面形の舞は終了となり、「海道下り」、「魚釣り」と続く。その後「八坂神社の舞と御湯」が行われ、面形送りとなり、面形を下の森へと返しに行く。最後の湯立となる「神妻神社の舞と御湯」が終ると「止湯」、「上湯」、注連取り「火伏せ」となり、4日夕方からの坂部の冬祭りは終了となる。その後「直会」を行い、火の王社にて十五日祭りを行い終了となる。
明日、諏訪社の片付け、日代の八坂神社にて十五日祭りを執り行われる。以上が坂部の冬祭りの要約した流れである。詳細は式次第をご覧ください。
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